代表挨拶


はじめまして株式会社アリスプラン代表取締役 中村真徳 と申します。
HPを今ご覧くださっている皆様、たくさんのHPがある中で本社に興味を持っていただき誠にありがとうございます。
だらだら話しするのは嫌なので結論から言います。

「私は一人ではなんにもできません。」

これは当たり前のことであり、皆さんが生きている上で誰かに感謝することはとても大切なことだと思います。このことを普段の生活の上で非常に忘れがちになってはいませんか?
弊社は「関わる人に幸せを」を念頭に人間的教育、そして営利団体としての目的を果たすため、利用者様、クライアント様に価値を提供できるよう道徳と利潤の調和を重んじる会社を目指しています。

「資本主義という社会の中で、綺麗事では会社はやってはいけません、しかし、その綺麗事がないと、営利がメインとなり、営利さえあげればいいのか?ということになると思います。」(渋沢栄一 著『論語と算盤』より引用)

つまり儲ければいいのか?ということです。

私は両方大事だと思っています、そして会社としてそれを指摘できる仕組みを持つことが大事だと思っています。そしてこのことを社員や仲間達に継承していくべきものであると考えています。
※会社は社会のもの、という意味合いです。

これらのことを実現するには、絶対に一人ではなにもできません、自己実現していくのも周りの方のおかげであり、自分に関わる人に常に感謝し、恩返ししなくてはいけないと思っています。
※今の自分のこれまでの人生を思い返してみてください、誰かに助けられていませんか?間接的にも直接的にも、そしてそのことは絶対に忘れてはいけません。
 

最後まで読んで頂いた方へ

貴重な時間をさいて最後まで読んで頂き本当にありがとうございます。
これも何かのご縁だと私は感じています。
ぜひ、何かあなたのお力になれることがあれば気軽にお問い合わせ下さい。
そしてなによりもあなたがこれから自己成長と充実した人生を過ごせるよう、切に願っています。

中村真徳
 

経営者(中村真徳)の信条

代々中村家は高松の大工町で美容院等の商売をしており、私は幼少から経営者である父と母の帰りを遅く待ち続けていました。
中村家の養子であった祖父は当時、POLA化粧品の高松の元締めをしており、どちらかというと、祖父と共に過ごした時間が長く、影響が大きかったように思います。
祖父の教えは何か?と聞かれると、しんどくても「顔」には出さず、貧しくても「見栄」を張ることを教えられた気がします。

今でも「貧しくてもケチな人にはなりたいくない」というのは強いです。父は祖父の化粧事業を継ぎ(会社は違う)、様々な手法等を試しながら経営を続けていました。
うまくいっているかどうかは分からず、しかし、家としてはかなり貧しかったと思います。毎晩、卵焼きのみや、親戚に頂いた、お米で食事をやりくりしていたのを覚えています。住む場所も、祖父のマンションを間借りしていて、家族四人で川の字になって寝ていました。それでも家族楽しく生活をしていた気がします。
今思えば、幸せというのは金銭の問題ではないのかもしれません。

そして、出張によく行っていた父はたまたま良い取引先に巡り合い、少し浮かれているように見えていました。うまくいっているのかわからないですが、大きな借り入れをして念願の会社兼自宅を建てました。場所も中村家の近所ではなく、実は父も中村家の養子ですので、父の実家の塩江の近くに土地を買って念願を果たしたように感じます。
(自分の母の近くに住みたかったように感じます)

私の幼少時代は、一宮幼稚園→栗林小学校→香川一中→高松中央高校→四国医療専門学校と住むところに左右されながら転々としています。
友達が多いのが自慢です。
小さいころから、影響は受けやすく、(とりあえずやってみるけど)持続はしにくい(あとは任せた)という性格だった気がします。
そんななんとなくでいった四国医療専門学校で、今の取締役である高藤氏と出会いました。楽しく、とても充実した学生時代を送りました。当時から、パチンコが好きでバイトで稼いだお金でちゃんと計算しながら遊んでいました。

そんな学生時代を卒業して、私は仏生山鍼灸整骨院(A・Mプランニング)と学校の就職会に出会い、就職しました。
当時髙藤氏は別のところへ就職して、たまに情報交換していて、業界的にけっこうしんどいよな~と話ししていました。
なぜそこに就職したの?理由は?と聞かれたら「一番、近かった」というぐらいです。
院長より新卒で雇うのは初めてだから、非常に責任を感じていると言われたことがありました。今思えば、会社としてちゃんと教育できるか?を危惧してくれていたのかもしれません。面接時は今でもよく覚えています。

勤め始めて、一年と半年が過ぎる頃、面接でどこの部門の責任者もできなさそうなフワフワした人材に育った私にとても気をつかって話をしてくださっていたのを感じています。
そのうちに迷惑かけている雰囲気でしたので自分から「辞めます」と言いったのが転機だったと思います。
時間ができたので、自分の内側に入り、考えこんだことを覚えています。休みもあって、給料も高い理学療法士になりたいと思い、専門学校を受講するために、学校の面接に行きました。(こちらも今思えば軽い気持ちでした。)
学校となると、窮屈さの方がやはり勝ったので、やはり自分でやってみよう!となり、個人事業主で、鮎滝整骨院を開業しました。

前職を辞めた後、そして整骨院を起業した後はその当時の社長にお詫びに行きました。経営者としてのけじめですかね、今までのお礼とお詫びをしに行きました。「勤めていた時は本当にわがままで、本当に申し訳ございませんでした」と気持ちを伝えました。お忙しいのによく私と会ってくれたと思います。やはり、器が違うなぁ~と感じたことをよく覚えています。

開業した院は一日、多い時で30人以上もの患者の方が来院してくださるようになり、父から借りた事務所に賃貸料を払いながら見習い経営者として走りだしました。
空いている時間で法人向けのパソコン教室へ通い、孫正義さんの本や様々な本を読みあさりました。今、WEBの仕事もしているのはその影響がかなり高いかと思います。
再び髙藤氏と情報交換するようになって、髙藤氏の職場環境や条件が職場を変えてもよくないので、まずは高藤氏から助け出そう!と考え、
「借入などの責任は私が全てもつから一緒に頑張ろう!」と十川東に会社を設立し、今のありす鍼灸整骨院の事業を始めました。

私は初めから院長をする気がなく、高藤氏を院長にたててゆくゆくは任せていこうと思っていました。今思えば、当時は口をたくさんだす、スタッフだなぁと患者さんは思っていたとそう感じます。(笑)
事業所も安定して3年目が来た頃、さらに人を雇い、週休2日で有給もつけ、ボーナスも出す。ということを実現しました。

→就労規則も制定・ボーナスは純利の3割を分配(純利=設備投資(3割)+)賞与(3割)+社内留保(3割)+株主権利(1割))
新卒の子が、昇給について不満があった場合は皆が公平になるよう昇給人事評価制度を作りました。

→昇給の評価と昇給を見える化
(パートさんにいたってはまだできていないので同じものを採用しようか熟考中)
レセプト業務や月末業務を月末日の休診日に設定

→業界では異端の残業での作業ではなく全て労務時間内にしっかり実務をする

そんな社員に寄り添った働き方を目指して日々今は奮闘中です。
WEB事業部も基本的に残業無し、成果設定もなしということをしてきましたが、あまり定着せず独立や就労時間、業務態度統一など、雇用の難しさを痛感しております。

毎日反省です。

プライベートでの話しをします。
祖父が空手で道場・スポーツ少年団を開設し、父は剣道をスポーツ少年団で教えていました。父は「鬼の中村」と呼ばれていたそうです。(尻バツやもぐさは普通でした)
そんな武道一家に育った私は父にが怖すぎて剣道には進まず、空手の道をすすむことにしました。

専門学校に在学中に祖父が他界し、その当時、総合格闘技にはまっていた私は空手のことは興味なく、祖父の道場はどうにかなると思っていました。

しかし、どうにもなりません。
誰かがやらなければ誰がするのか?
私以外いない。一番、責任と重圧を感じたのを覚えています。

この時に、子供を預かる責任や代表としての覚悟を持つようになりました。

今では子供達含め30人ほどの組織になり、指導者も数名、後輩もできました。当時は今の会社よりもたくさんのことを深く学んだような気がします。

「立場が人を育てる」
「お金を残すのは下、事業を残すのは中、人を残すのは上」
「甘えと優しさは違う」
「子供に対して言うことは自分ができていないといけない」
「空手は手段であっては目的ではない(仕事と同じ)」


など、自分の心から染み出る言葉がたくさんあります。
汗をかいて苦労をし、様々なことを教わったからこそ分ったことがたくさんありました。

学ぶべき場所は、人生の中でたくさんあります。


 

そこから生まれた経営者(私)の信条

1・わが社の理念、「サービス(鍼灸整骨院)とIT(ウェブ)でお客様にソリューション(お困りごとを解決)を提案し、わが社に関わる皆さまが幸せになるよう努める」を掘下げ、お客様との関わり方により一層責任をもつ。

2・中小企業家同友会で勉強した考え方、「社員は最も信頼できるパートナー」として、寄り添う姿勢をとるようにする。
※信用→条件付き 信頼→条件なし

3・社会における私たちの会社の存在意義を常に問い続けることで、会社の社会的責任を考えていく。


20180910作成